DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: February 2008

Kyung Wha Chung plays Bruch – Violin Concerto No.1 III Finale Allegro energico

 個人的な事で言えばもう三週間くらい前の話になってしまうが、チョン・キョンファの演奏する姿を観てみたいと探していると、意外にも Youtube にアップされていて、それを見つけてからというものずっと観ていた。特にこの記事のタイトルにした曲の映像は衝撃的で、もう何十回も観ている。韓国の放送局にて録画されたこの演奏は、チョン・キョンファの若さと、指揮者のアンドレ・プレヴィンと共にこの曲を演奏している事から1970年代ではないだろうかと思っていたのだが、よくよく考えると1970年代にヴィデオが普及していたとは思えないので、そうすると1980年代だろうか。まあ、そんな事はどうでも良いが、とにかく観てみなければ何も解らない。

 興味のない人間にとっては大仰でわざとらしくも思えるこのチョン・キョンファの演奏する姿は、時折人間以外の生き物に見える。日常的な感情に従って行動している人間は違和感なくそれなりに見えるが、この瞬間のこの人は音楽に支配されているのだ。どれ一つとして楽器をまともに演奏する事が出来ない僕は、こういう状態の人間を羨ましく思う。自分の奏でる音にシンクロし、己の全存在を音に乗せる事が出来る。全ての芸術は音楽に憧れると言ったのは誰であったか。他人が奏でる音楽に酔いしれているのではなく、自分が奏でる音楽に依存する。そんな状態の人間はもう、音楽そのものと言っても良いのではないだろうか。

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 蛇足な話。1990年に The Rolling Stones が来日する前夜、僕は東京ドームで開催されるそのライヴを観る為に上京していて、八王子に在る友人の部屋でテレビを観ていた。日本テレビで放映されたそのライヴの特番の中で誰かが言っていた。「ロックバンドは聴くものじゃない。観るものだ。」その時の事を思い出しながらチョン・キョンファを観ていた。この映像はそこいらのチンケなロックバンドよりもずっと格好良い。

ハッシュ! / 橋口亮輔

 一組のゲイのカップルの間に「子供を作りたい」と言うヘテロの女が割り込んで来る話。誰かには誰かが必要だが、それが家族や恋人である必要はない。長く連れ添う事が稀なゲイ・カップル。将来を思ってみても、養子でも貰わなければ家族が増える事はない。片や女は、長らくの不摂生(不特定の男との性交)が祟り子宮に陽性の筋腫が見つかる。出産をする気がないのなら摘出してしまえば良いのでは?と医師に薦められる。
 この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
 印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」

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 とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
 主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。

 それまで、日本映画の中で真面目に扱われてこなかったゲイの登場人物たちを10年通して描いてきて、『ハッシュ!』(2001)で大きな評価をいただいたので、ひとつやり終えた感があったんです。じゃあ何を撮ろうって考えたときに、『ハッシュ!』以降の人間関係、それも“絶対に別れない夫 婦”をやろう!と思って。

 実は僕が「ハッシュ!」の後、鬱になったん ですね。「映画なんてできない、もう無理だ」って1年 くらい何もしない時期があって…。そんな時、2001年の 米テロ事件が起きたんです。実はテロと鬱ってす ごくよく似てて、くすぶっていた過去の問題が全部表面 化しちゃうという共通点があるんですね。そんな90年以降の犯罪史が、僕の鬱屈した想いとリンクして、 「どうやったら希望をもって人は生きられるんだろう?」と、祈りにも似た想いで考えていました。でも結局、希望なんて人と人 との間にしか生まれないですよね。面倒くさいし、やっか いだけど、人と人との繋がりしかないんだって。…だから 何が起きようとも“絶対に別れない”夫婦なんです。

 僕は未婚であるので夫婦の事についてはよく解らない。しかしこれまでの経験上、人と人は、出会えば何れは別れ別れになるものだと思っている。血縁関係にしたって、不仲であれば大仰な名目でもなければ顔を合わす事もない。まあ、これは僕個人に関しての事だが。ただ、前述の僕が書いた記事と、橋口亮輔のインタビュー記事との間の流れを考えれば「絶対に自分の目の前から居なくならない人がいる」事への羨望は、僕の裡にもその欲求は十分に備わっている。だから、そういう人と人との関係は一体どういう風に形作られているのか、その事に大変興味がある。公開まであと半年もあるが、きっと忘れた頃に突然思いだして慌てて劇場へ足を運ぶのだろう。

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 因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。

Tamaki Ogawa deplored, You are a liar.

 数日前から緒川たまきの事で頭が一杯である。それというのも、2005年に J-WAVE で放送されていたリリー・フランキー TR2 という番組の音源を聴いていたら、その中でトリビアの泉の中の一コーナー「ガセビアの沼」、所謂緒川たまきの「うそつき」コーナーについて話していたので、それで興味を持ったのである。もともと緒川たまきは気になっていたのだがトリビアの泉はたぶん一度くらいしか観た事がなくて、そのコーナーの事は全然知らなかった。それで何となく調べていたら Youtube の動画を見つけて、夢中になってしまった。それ以来脳裏から離れてくれないのである。
 さて、その魅力を言葉で説明するのは無理なので以下にその動画を置いておく。

 いやあ、可愛いなこの人。そりゃあこれは演技である。しかし誰かが言ったように「人の目の在るところでの人間の行動は全て演技である」という事からすれば、これは素晴らしき現実である。こういった場合の正直さなんてものは、この際書いてしまえば怠慢故の我が侭でしかない。人と人との関係はお互いに演じる事で円滑に作用する。それをしないという事は即ち相手に興味がないのである。で、僕はこういうのが出来ない傲慢な人間なのである。

 話が逸れてきたので元に戻す。僕がとても気に入っているのは「ひとしきり笑った後にキッと睨む」パターン。怒った顔がとても美しい。少し様相は違うが、こういった表情の美しさの最たるものは「愛の嵐」の中で、籠城した二人の男女、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングがジャムを取り合って争う場面。結局腕力でジャムを奪い取られたランプリングの憎しみに打ち震える表情が身の毛がよだつ程に美しい。交尾の最中にメスカマキリに喰われるオスカマキリはこんな気分なのだろうか、と訳の解らない感想を持ってしまう。

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