DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: September 2008 (page 1 of 2)

荷風参り

 先日新橋界隈でLSTY氏と呑んだ際に「永井荷風は吉原は浄閑寺に葬られる事を望んでいた」という話を聞いたので少し調べてみたら、確かに荷風はそう望んでいたらしいのだが実際には荷風が父の眠る雑司ヶ谷霊園に墓は在るらしくて、浄閑寺には谷崎潤一郎ら42名が荷風を偲んで詩碑を建てたという事のようである。さっそく次の日に尋ねてみた。
 その日は秋分の日つまり彼岸の中日で、JR大塚駅から乗り換えた都電荒川線車両内は供花を手にした客で一杯だった。雑司ヶ谷駅の小ささと地味さに感心しつつ霊園に入る。これまで谷中や青山の霊園に足を踏み入れた事はあるが、何処も似たような雰囲気である。荷風の墓が霊園の何処に在るのか前もって調べておいたので直ぐに見つかるかと思いきやなかなか見つからない。先に小泉八雲や荷風の日記によく登場する成島柳北の墓を見つけてしまったので、取り敢えず墓石に手を合わせ荷風の墓を更に探す。ようやく見つけた荷風の墓は、実は調べておいた区画の隣の区画であって、三方を生け垣に囲まれ、父の隣に、父よりも大きな墓石に葬られていた。初めは花を持参しようかとも考えていたのだけれど、どう考えても荷風翁はそんな行為を嫌がる気がしてならないので僕は止めておいたのだが、供えられてから数日を経ているであろう花が飾られていた。僕は墓石の前に跪いて手を合わせ、それだけやれば気が済んだので霊園を後にする事にした。

 それから僕は浄閑寺に向かうべく三ノ輪橋行きの荒川線に乗った。ご存じのように都電荒川線は大変狭い路線敷地内をガトゴトと走っている。場所によっては手を伸ばせば両脇の民家の届きそうなところも在る。そう言えば江ノ島電鉄にも同じ様な箇所が在り、僕はそういう状況がとても好きだ。

 終点の三ノ輪橋駅を降り浄閑寺を探す。これも直ぐには辿り着かなかったのだが、途中で地図を片手に何やら探している老夫婦を見かけ、これはきっと荷風碑を尋ねてきたのに違いないと思い付いていく事にした。果たして僕はまんまと浄閑寺に辿り着き、荷風碑を探し始めた。どうにも境内には無さそうなので霊園に入ると、そこはもう墓石の展示即売会場かと思ってしまう程に墓がぎっしりと並んでいた。敷地などという概念はなくただ墓石が建ち並んでいるという感じ。こんな雰囲気の場所の一体何処に詩碑が在るのだろうと思いながら探していると、本堂の裏側、新吉原総霊塔の正面に在った。壁の御影石に彫られた偏奇館吟草の詩を読んでいると、先ほどの老夫婦がやって来た。
 僕は彼らに譲ろうと碑から離れた。最近特に思う。老人は老い先短く機会が少ないのだから、鉢合わせてしまった場合には出来るだけ譲らなければならない気がする。それから僕は境内で暫く過ごし、その内に先ほどの老夫婦が出て来たので僕は改めて荷風碑に戻った。詩碑を十分に眺め、それから僕は向い側の新吉原総霊塔に手を合わせた。この場所では一番多く花が供えられていた。壁に埋め込まれたこれまた御影石には花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の文字を眺めていると、二人の老女が花と水桶を手にやって来て霊塔を清め始めた。何となく、其処に居てはいけないような気がしてきて慌てて僕は立ち去った。名残惜しい気はしたがまた来れば良いのだと思って。そもそも何故名残惜しく感じるのかはよく解らないのだけれど。

好ましき髪型

 僕自身の髪型の話ではない。女性の髪型の話である。予てから僕は「好みの女性タイプは?」という類の質問にはいつも上手く答えられない。こういう質問というのは主立った容貌や性格的傾向を訊いているのだろうけど、人間を構成する要素は多種多様であるしその組み合わせとなればこれはもう無数である。勿論僕にも好みの傾向というものは在るので、その幾要素かを辿る事は出来るのだが、そうしている内に段々と訳が判らなくなるものである。最高値の組み合わせを決定するなんて事は、これはもう一生を掛けての課題であるから、おいそれとは答えられないのは当然だと僕は思っているのだが、恐らく質問者はそこまでは求めていない。それは解っているのだけれどテキトーに答える事が出来ないのだな、僕は。

 さてそんな中、これだけは発表しても差し支えないのではないだろうかと思えるのが女性の髪型である。最近ようやく自分の好みが判ってきた。これにしたって元々は「似合ってれば何でも良いな」くらいの認識しかなかったのだけれど、と或る髪型の女性を見かけると必ず目に留まり、それ以外の要素を確認しようとうろちょろとしてしまう自分に気がついたので、これはもう決定しても良いのではないかと思い記念に此処に記すのである。
 んで、その髪型とは真ん中分けのボブである。リンク先に拠れば「ワンレングス ボブ」というらしい。その魅力を試しに書いてみれば「細く滑らかな髪質の特徴を十分に生かしつつ軽快で華奢な雰囲気を保ち、それでいて色の匂いを秘めている」とか解りにくい文章になってしまう。こういうのは観て触って嗅がないと解らない。

 因みに有名な人物で例えるなら、髪の毛を切った後の麻生久美子とか、ショートにする前の Megumi とか。特に Megumi のこの髪型にした時の横顔はとても美しい。

音源棚の省スペース化

 以前から懸念されていた我が家の収納棚。先日雑誌を処分したので若干のスペースは空いたが、それでも足らずに新たに購入された本やCDやDVDは全て床に直に置かれる事になる。部屋掃除の際はおろか普通に部屋の中を歩行するのにも邪魔になる。或る程度は我慢するつもりでいたがさすがにもう無理だ。購入を控えれば解決すると言われるかも知れないが、そうはいかない。これらを購入するのは日々の食事とさして変わらぬ行為なのである。まあそれは言い過ぎだとしても買わない事は有り得ない。だがしかし、足元が邪魔だからと言って棚に無理矢理詰め込んでしまえば、ちょいと服を引っかけたとか軽い地震が起きた折に、不安定な状態で積まれたCDはバラバラと床に落下し、プラケースがバリバリに割れてしまうという事態が起きてしまう。こういうのは結構凹む。床に這いつくばり夜の夜中の薄暗い電灯の下、潤む目尻を袖で拭いながらも散らばったプラスティックの破片を拾い集めていると、何かしら得体の知れない悪意に晒されているような気持ちにもなるものである。
 さて、そういう思いはもう懲り懲りだと長い間この状況の打開策を思案していた僕であるが、ついにこういう便利なものを見つけた。下北沢に在るフラッシュ・ディスク・ランチという中古レコード屋つうかCD屋で考案されたソフトケースである。実はほぼ日のこのページで知ったのだ。他にもこの人なんかも詳しく説明していて、とても良さそうなので実践する事にしたのだ。このソフトケースは当のフラッシュ・ディスク・ランチで店頭販売・通信販売している他、タワーレコーズでも店頭販売・通信阪場している。

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 左上の写真は、このソフトケースの売られている状態のパッケージ。CD一枚当たりに必要なのは右上の写真にあるように、不織布の内袋と塩化ビニール製の外袋が一枚ずつである。まずはCDをバラバラに分解して表ジャケット・裏ジャケットを取りだそう。

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 不織布の内袋にディスクを入れ、透明の外袋に裏ジャケを入れる。背表紙の部分が正面に折り返されるがこれは重要。後々にCDを探す時にこれが見えないと大変困る。次に表ジャケを入れて外袋のベロの部分を差し込めば完了。全ての面のジャケが見える状態になる。プラケースというのは普段は余り気にしないけれど、実際には無数の疵が入っていたり黄ばんでいたりして結構老朽化している。今回新品のケースに入れ替えたら、それはもう手持ちのCDが蘇るように綺麗に見える。しかもソフトケースに入れ替える事に因って、何というか買わされてしまった工業製品というのではなく、自分の為の音源ストックという感じがしてとても気分が良い。

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 左上の写真のように、僕はそれらのソフトケースを無印良品のポリプロビレンの程よい大きさのケースに入れる事にした。何が面倒臭いって、この大きさのケースを探し出し買ってくるのが一番面倒臭い。大きさも確認出来たので今度からは通販にしよう。最初は同じ無印で売っているラタンのケースで小洒落てみようかと考えていたのだが、収納量が少ない割には高いので止めた。
 右上の写真では少し見えづらいが背表紙もちゃんと見えるし、このポリプロビレンのケース一箱で約90枚のCDが収まる。その結果不要になったプラケースが左下の写真。これだけの物がゴミとなる。これでも棚からはみ出た分のCDだけを収めたのである。一つの塔の高さを測ったら約34cmであった。CDが33枚で34cmとして考えると、僕の部屋の棚に収められている残りのCDが横幅120cm×4列。120×4÷34×33+90=555。この部屋にはだいたいそれだけの量のCDが在るようだ。

 さて、このソフトケースの売り文句は「収納スペースを1/3に!」というものである。そう考えるとつまり、僕の部屋には1500枚相当の収納スペースが存在するという事であり、何となれば「あと1000枚はCDを買っても良い」という事である。これは嬉しい。これは僕以外の「CDを買わずにはいられない」諸兄、特にご家族を持たれた貴兄にも大変な朗報であろう。「もうCD買うのは止めなきゃな」と思っていたのに「三倍の量までは増やせますよ」と甘く囁かれているのである。これでもう「もう収納出来ないんだからCD買うの止めてよ!」と無粋極まりない苦言に甘んじる事もあるまい。
 と思ったのだが、もう一つ辛辣な小言があるのを思い出した。「もう必要ないでしょ!?」・・・これはキツい。生活のレベルをどの辺りに設定するのかにも拠るがだいたいこの台詞は言われそうである。音楽なんて個人的なものでしかないと思うので「家族の為に必要なのか?」と訊かれれば必要は無いのかも知れない。しかし僕はこう反論したい。「あのな、人がフツーに生きていて触れられる事柄なんて限りがあるでしょ?それは単に生活する場所の物理的な違いだけの話じゃなくて、生まれも違えば育ちも違う色んな立場で生きている人達のそれぞれの感じ方というかさ、世界観を垣間見る事が出来る訳じゃない?それは最低限度必要な事かって言われれば必要ないかも知れないんだけど、人間の幅を広げるって事を考えれば重要な事だと思う訳よ。それは何も音楽に限った事じゃなくて文学でも美術でも学術的な本にしてもそうだよ。限られた情報だけで生きていくのって余裕が持てないし大変だよ。強さってのは知る事に因って得られると思うんだよね。だから俺はさ、本でもCDでも出来るだけ色んなものを見聞きしたいと思ってるんだ。勿論好き嫌いは在るよ。でもそれは自分にとって好ましい世界が一体どんな風に成り立っているのかという鍵を知る事に繋がると思ってるんだ。」とこのくらいの事は言い返したいのだが、実はこれ、今テキトーに考えて書いただけである。

山手線沿線を歩く(品川〜田町)

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 少しやり方を改める事にした。道程を出来るだけ明確にし写真も出来るだけ撮る事にした。僕の印象に残っている場面を私感のみで書いていても移動している感覚が全く出ないので、それが面白味に欠ける気がしたのだ。しかし出来るだけ写真を撮るというのが案外難しくて苦労した。普段の僕は目に付いた対象物を目的も無く前後の脈絡も関係無しに、ただひたすらに引いたり寄ったりしながら撮るという姿勢が身についてしまっているせいで、目的に準じた記録をするという行為の感覚が掴み難いのである。それでも何とかやってみたのだけれど、どうやらやたらと長い割には文章が少ないエントリが出来上がりそうである。

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 左上は品川駅前の歩道橋の上から撮った写真。港南口にビル群がそびえ立つ。線路に沿って走る第1京浜(国道15号)を歩きながら右手のビルの隙間からJRの車両が垣間見える。アスファルトと金属とコンクリートしか存在しないような空間を延々と歩いていると殺伐とした気分になってくる。たまに出現する街路樹に絡まる雑多な植物をついつい撮りたくなるというものだ。

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 高輪大木戸跡(高輪2丁目19番)。江戸時代中期の産業交通土木とある。「江戸の南の入口として(中略)旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた」こういう戒厳令的な規制によって江戸は守られていたのだな。

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 第1京浜沿いは何処まで歩いてもこのような風景が続く。左下は笹川記念会館の前に建つ笹川良一の像。そして右下の写真のビルに何だかもの凄い威圧感を感じて、一体何処の会社のビルなのか気になったので見てみたら住友不動産であった。

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 札の辻橋。1933年に建造され、2004年に改築された橋。左下の写真は橋の上から路線敷地内を見下ろしたもの。線路脇の雑草の茂り具合が地方の路線を見るようである。都会の真ん中にそれが在るというのがこれまた良い。

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 田町駅の南側。東京工業大学付属工業高校と芝浦小学校に挟まれた場所に位置する。右下は反対の北側の入口。駅全体が把握出来ないしとても判りにくい施設だ。

浅草サンバカーニバル雑感

 色々と細かい感想をメモ代わりに箇条書き。忘れてしまうのも勿体ないので。

  • サンバのリズムにはどうしても抗えないようだ。何故ならば観ている間僕はずっと腰を動かしていたからである。周囲を見渡すと皆さん割と静に見つめているか手を振って演者に応えているかのどちらかが大半を占めていて、僕と同じようにリズムに取り憑かれていたのは、通りの向こう側に一脚にデジカメを付けて構えている僕より少し年下の男くらいなものであった。じっと立っているより踊っていた方が疲れないんだよね。楽しいし。
  • そう言えば、1970年代のリオのカーニバルでの歴代の優勝エスコーラ(チーム)のテーマ曲を集めたCDを持っていたはずなのだけれど見当たらない。
  • 露出度が高く頭や背中に羽根飾りを付けたような出で立ちで踊るダンサー(呼び方が判らない)にはアフリカ系もアングロサクソン系も日本人も居るのだけれど、どうしても日本人(というかアジア系)の女性が一番生々しく感じるのは何故だろうか。ずっと以前に知り合いの写真家の個展を覗いた時に、共通の知人の女性のヌード写真が在って、何だか観ているこっちが恥ずかしくなってまともに観れなかった事があるが、それと同じような事かも知れない。自分に近ければ近い程羞恥心が働く法則。
  • 映画「ドラムライン」を観た時にも同じ様な事を思ったが、バテリア(打楽器隊)というのは本当に格好良い。
  • 正確にどのチームだったのかは覚えていないけれど、ケツから数えて3番目までのどれかのチームの中に、全身に金粉を塗った女性ダンサーが三人ほど居た。「007 ゴールドフィンガー」の映像では観た事はあったが生で観ると物凄い衝撃だ。身体の隆起した部位や皺などの陰翳がとんでもなくエロティックで、じっと観ていると意識が向こう側へ飛んでしまいそうな感じがした。しかし金粉(実際には鉱物の金ではなく何かしらの塗料だと思うけど)を全身に塗ると皮膚呼吸が出来なくなって危険だと聞いた事があるのだけれど、顔の部分は塗っていなくて金色の面を被っているにしても、あの炎天下でそんな事して大丈夫だったのだろうか。
  • 参加チーム「GRES SAUDE YOKOHAMANGUEIRA」の代表者の1987年のリオのカーニバル体験記。1チームの構成人数が5000人とは桁が違い過ぎますな。

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