羽海野チカの ” 3月のライオン ” を読んでいたらこんな場面が在った。事故で両親と妹を亡くした17歳でプロ棋士の主人公は、自宅の近所(モデルとしては月島)を流れる河を眺めながらこう考える。
河が好きだ。好きなものなんてそんなにはないけど・・・。水がたくさんあつまった姿を見ていると、ぼうっとして頭がしんとする。
よく解る表現である。川面をじっと眺めていると次第に周囲の音や匂いやその他の感覚が少しずつ遠のいて頭の中がとても静かになる。僕は生まれてこの方河の近くにしか住んだ事がないので、それだけ親しみも在るし懐かしさもある。しかしそれだけでは説明出来ない何とも言いようのない感覚に陥ってしまうのである。それが物質としての水そのものにその影響力が在るのか、それとも水の流れにあるのか、今を持ってよく解らない。
ただ、頭の中がごちゃごちゃして一体全体何から手を付けて良いのか、更に進んでもう何もしたくないと思っているような時には、河の流れを眺めて過ごせば幾らかは気が楽になるような気がする。言葉を換えるならば、有効な自分の緩め方であると思う。
April 10, 2008 at 01:38
心理学的には水は人間関係を現すらしい。
しかし、人との関係と言うより、人と関わることで生じる触れ合いみたいなものじゃないかと実感している。
水=人との触れ合い
と考えると、「水商売」とか「水恐怖症」とかが見える気は確かにする。
水面を見ていると落ち着くのは、人間関係で疲れているのでは?
落ち着いた静かな安心できるような触れ合いから得る満足感を、
水面を見ることによって心の中に取り入れることが出来ているのかも。
説明が難しいけど。
ストレスを感じたら水に触ると落ち着く場合もあるんじゃないかな。
ちなみに似たような話で、甘い=満足とか、苦い=苦しい、なども体が判断しているのではないかと。
つまり甘いもの→満足もあるけど、満足→甘いというルートにもなり得る。
水=触れ合い と考えることで、「もう触れ合いはいらない」と思っていても、
自分の落ち着くような触れ合い(水)があるとOK,っていう発見。
眠くて何言ってるか分からなかったらすまぬ。
April 10, 2008 at 22:57
そういう説もあるのか。前にも書いたけど、水に触れると気分が落ち着くというのは大いにあると思う。そしてそういう心理的な影響というのは何となく解るは気はするのだけれど、やはり曖昧な部分をどうしても残してしまうのでさっぱりしないのだよ。
例えば、人間の感情なんてのはシノプシスを走る電気信号に因って引き起こされる、というような物理的な理由が在るような気がしてならない。昔、村上龍が何かを聞き間違えて「え?精神物理学?」とか言っていたけれど「精神物理学」とか「精神化学」とか、そういうこれまで相容れなかった領域が混交している場所が在るんじゃないかなあと思っている。
辛い、という味覚は少量であるなら興奮をもたらすけれど、それが過ぎれば過ぎるほど幸福から遠ざかる気がしてしまうね。
ところで、貴様の日記を読んでの感想をついでに書かせて貰うが、抑制も過ぎれば破綻を来す可能性があると思うので、自分自身の状態にも時折は目を配るように。マズイと思ったら取り敢えず目を逸らし全く別な事柄に注視しろ。なんなら秋葉原に行って沢本あすかの股間の写真でも撮って来給え。
April 11, 2008 at 07:23
感情→なんとか成分? ではなくて、電気信号→感情 というルートもありそうだってことね。
もちろんあるでしょう。
クオリアは脳のどこでどうなっているのか、ということだよね。
その通り、抑制が過ぎて破綻していたようだ。
言われたことだけど、派遣元の人間にプッシュされて、派遣先の人間に嫌われてるのが通常なのに、
派遣元の人間に怒られて、派遣先の人間には大絶賛だと。
お前ほど派遣元に立場が強い人間はいないのに、何故そうなるのだと。
でもさ、立場が強いはずなのになんでこんな目に遭うんだ?と思っちゃって混乱するわけだ。
全てを理解しようとしすぎるんだね。
それはつまり、どこまで理解すればいいのか分からないということだ。
だから「ここまででいいよ」と教えてくれる元同居人や彼氏がいないとやっていけなくなる。
相当な欠陥ですよ。
ちなみに私は水が嫌いです。出来るだけ触りたくない。
風呂には出来るだけ入りたくないし、皿洗いもしたくない。
トイレ入った後手を洗うことも好きじゃない。
水面は好きだけど、ストレス状態で見るのは無理だな。
回復期に見ると確かに癒されるよね。
April 12, 2008 at 00:07
気付くのが一日遅かったようだね、少し悔やむ。
何事に於いても責任を持って対処する人間の周りには、何事に於いても無責任な人間が寄ってくる。楽だからだ。全体としては、結果としてはそれで巧くいくのだけれど、状況が過剰になってくれば前者がパンクする。そういう時、人間は必然的に目下の人間に捌け口を求める。色んな形で。でも派遣だとそうはいかないよな。辛いところだ。
僕は出来る限りいい加減な人間でありたいと思っている。仕事に対してはなかなかそうもいかないが、それ以外の時の僕はまるっきりだらしがない。関わる全ての人を理解したいとも思わない。全ての人を理解してしまったなら身動きが取れなくなるからだ。
それと、そんなにも長時間話を聞いてくれる男なんて滅多にいないぞ。少なくとも僕には無理だ。大事にしろ。大事にするというのは、何時どんな時でも同じように対処してくれる事を期待する、という事をしてはいけないという事だ。
水が嫌いというのは、テレビの無音ノイズが嫌いなのと繋がる気がするね。たぶんだけど、波長が乱されるからなのだろう。