DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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老い

 体力が落ち、身体は言う事を聞かず、思い出せない事が多くなり、言われた事が耳に入らなくなる。そうして、それらの要因が重なる日々の生活の中で、自分で自分が信じられなくなるような過失を繰り返す。それを見咎めた子供らからは非難を浴び、小言を言われ続けるのはどういう気分だろうか。それでもやはり生き続けたいだろうか。死にたくなったりはしないのだろうか。老いの苦しみは自ら経験しないと解らないものだと考えていたが、間近に接していると伝わってくるものはある。

高熱の思い出

 僕の平熱は36.2度などその辺りで、割と低めである。そのせいかどうかは判らないが、熱が出にくい体質であるようだ。風邪をひいて熱を出したとしても37度前半などで、滅多な事では38度までは上がらない。そもそも風邪をひいても熱を出す事が少ない。しかしそのせいだろうと思うけど、治りにくいし、口唇ヘルペスが出来たりする。どちらかと言えば厄介な体質である。しかしそんな体質の僕が過去に一度だけ39度という大台を超えた事がある。今回はその時の話。

 あれは随分と昔、2000年にはなっていなかったと思う。金曜日の夕方に寒気を覚えたが仕事が終わらず、夜ともなればとうとう悪寒と頭痛がし始めたので帰宅し、夕食も摂らず風呂にも浸からずにそのまま布団に潜り込んだ。酷い状態だったが、明日一日寝ていればどうにかなるだろうと高を括っていた。しかし甘かった。翌朝僕は、全身の痛みと共に目を覚ました。何がどうなっているのか判らないが、体中が痛くて起き上がれないし、頭部の中心から熱を発しているようで意識も混濁しているようだった。這うようにして体温計を探し、計ってみたところ39度を越えていた。これが39度の世界か。そんな事を考えながら、数分の後に意識を失った。
 その後何度か同じ事を繰り返した。意識はぶつ切れなので時間の感覚はない。しかし窓の外から黒夢の曲が聞こえていたのを覚えている。黒夢を知っている人は想像出来ると思うが、高熱にうなされて目を覚ます度に黒夢の曲を聴かされるのである。一体何の呪いなのか。当時僕が住んでいたマンションの斜向かいに古いアパートが在り、そこには近くの新聞販売店の従業員達が住んでいた。その後にもそのアパートの一室から黒夢の曲が漏れ聞こえていたので、その日もそいつが流していたのだろう。それにしても大音量で一日中となると迷惑極まりないが、こちとら重病人である。どうする事も出来ない。(因みに、窓を開け放っていたところをみると温暖な季節だったのだろう)
 更に翌朝日曜日。夜が明けた直後のようでまだ薄暗い時間に目を覚ました。すると外から自家発電機のようなディーゼル音が聞こえてくるので、何とか身体を起こした僕は窓の外を覗いてみた。二階から見下ろす道路には誰も歩いておらず、ディーゼル音だけが聞こえてくる。暫くまっていると、全身白い衣服を身に纏った二人の女性が、蒸気のようなものを噴出している機械を載せた荷車を曳きながら歩いてきた。蒸気は消毒液の匂いがしていた。僕は「保健所の職員の方が消毒作業をされているんだな。ご苦労様だなあ」などと思いながらその光景を眺めていた。女性達はマスクのせいでくぐもった声で何やら話しながらゆっくりと歩き、やがては煙った道路の先に消えて行った。どことなく幻想的なその光景を見遣った後、起き上がっている事に疲れた僕は再び布団に潜り込んだ。
 その後も目を覚ましては寝てを繰り返して、その日の夕方には随分とマシになり、コンビニと薬局から当座を凌ぐ物を買ってきて、翌月曜日には出社したと思う。若かったせいだろうか、よくそんな事が出来たものだと思う。今だったらきっと死んでしまう。

 以上が僕が人生最高の熱を発した時の思い出話なのだが、それを数日前、柔らかな陽差しの中を散歩していた時にふいに思い出した。そして一つの疑問が頭をもたげる。あの二人の女性は実在したのだろうか。
 というのも、15年以上も前だとは言え、何処かの機関がそのような方法で消毒作業をしていたのだろうか。方法として古臭い気がするし、あの方法だと消毒されるのは道路際までである。そんな対処は有効なのだろうか。そんな事を考えたからである。そもそもあれは何の為の消毒作業だったのだろう。その前後に何かしらの感染症が蔓延していたからと今まで僕は考えていたが、そう言えばそんな話は何も聞いていない。僕が患ったのがインフルエンザだとして(結局医者にはかかっていない)、その対処にそんな作業をするものなのだろうか。「保健所 消毒液散布 白い衣服」などで検索してみたが、なにもヒットしない。
 そんな事を考えていると段々不安になってきた。今まで15年以上もその事に何の疑問も持たずに過ごしてきていたので、自分の思いつきなのに驚いた。もし、もし仮にあの光景が幻視だとすると、もしかして僕は死にかけていたのだろうか。おまけに、あの二人の女性の白ずくめの姿が本当は白装束であったような気もしてきた。今更だが、そうでない事を願う。今は元気なのだからそんな事はどうでも良いだろうとも思うが、自分が死にかけていたとは余りショックだ。春の訪れにすっかり綻んでいた気持ちが、すっかり異世界に紛れ込んだような気分だ。

人と病

 先日、本屋(実際にはアマゾン)でふと目に止まった、水島広子著『「拒食症」「過食症」の正しい治し方と知識』という本を読んでみた。何故そんな事を思い付いたのかというと、これまでの人生で何人か、拒食症または過食症ではないだろうかと思われる人と僅かながらも付き合いがあったからだが、その時の己の態度に対する反省から、少しでも知っておきたいと思ったからである。その中で気づいた事を二三記す。

 ひとつには、本書は患者のみならずその家族や周囲の人々に読まれるように書かれている。その中で(そうなりがちではあるが)こういったアドバイスや言動は患者にとっては逆効果だ、という事例が幾つか挙げられているが、そのどれもを僕はかつての知人達に言ってしまっていた。しょっちゅう顔を合わせるような深い付き合いではなかったので、尋常とは思えない相手の様子に驚いてつい口に出してしまうのだけれど、確かに無知であった。
 摂食障害の専門医は今を持っても少ないとある。となれば適切な治療方法や、周囲の協力の仕方などに関して知識を持つ人を身の回りに探してもなかなか見つからないだろう。アマゾンでも推されているようなので、この分野に興味を持つ人には手に取りやすくなっているとは思う。しかしそれだけでは全然間に合わないように思う。問題に直面した人が全員、積極的に知識を得ようと書籍を紐解くとは思えない。どちらかと言えば少ないのではないだろうか。患者本人だけでなく周囲の人達にしても、なかなか認めたがらないような気がする。認知する際のストレスを出来るだけ少なくしようと思ったら、例えば摂食障害をテーマにしたテレビドラマを制作して、単発ではなく一定期間をかけて放送するとか、そういう方法が必要ではないだろうか。民放では難しいだろうから NHK で。

 もうひとつは、この本は基本的には患者の不安や心情に寄り添った形で書かれていて、折に触れては周囲の人達が知っておくべき事柄や心構えなどについて書かれている。しかし、周囲の人達に寄り添った記述が足りないように思う。知識も経験も無い人間に、或る日言い渡された通りの対応が出来るようにはなれないと思われる。本書にも触れられているが、患者と共に周囲の人達も自分を見つめ直し、徐々に成長していかなければならないのだろうから。なので別冊にて、今度は周囲の人達に寄り添った形での本があれば良いのではないだろうか。本書を読めば読むほど、患者独りではどうする事も出来ない病気であるように思えるし、医者に任せていればどうにかなるものでもないようだし、周囲の人達の、もっと言えば社会の認知が必要であるように思える。その為にもそういう本は必要ではないだろうか。

 いずれにしても、浅はかな考えであるかも知れない。広く知らしめるという事は、それだけ患者のデリケートな心情を晒してしまう事になりかねないとも考えられる。本書でも、随所に患者へ対する気遣いが窺える。

 最後に、本書でとても気になる記述があったのでそれを引用する。

 私は摂食障害の患者さんを見ると、まるで一家の問題を代表するような形で病気になっていると感じることが少なくありません。ある意味では、もっとも感受性が豊かで、もっとも家族思いの人が、摂食障害になっているのです。
 それを「家族の犠牲者」として見ることも簡単ですが、それ以上の意味があると思います。最も感受性が豊かで、最も家族思いの人は、病気になることによって、家族関係のバランスを変え、やはり家族のためになる結果を出すのだと思うのです。

 そうだとすると、これはもはやシャーマンではないか。これは摂食障害には限らない話のように思う。病という事象に対して、単に悪しきものだという考えを改めなければならないのかも知れない。

近況

 先々週末に熱を出して寝込み、翌日には熱は引いたが今度は喉を痛め、かつてないほどの痛みと、地獄からの咆哮が如き声の変調を経験し、そしてそれも治まったかと思いきや、今度は咳嗽が止まらず、いつまでも完治せずに低調な毎日を送っていた。しかしようやく、本日をもって回復の兆しが見え一安心しているところである。

 そんな中思っていたのは、喉を痛めると、噛み砕いたものですら飲み込むのがなかなか困難で、毎日の食事が愉しみでるあるどころか苦行に近いものがあり、そうなると毎日の暮らしに張り合いが無くなる。つまり「あと一時間もすれば旨い昼飯が待っているのでそれまで頑張ろう」だとかそういう自己暗示が出来なくなるので、どうにもやってられないのである。更には刺激の強いアルコールを摂取するのも、出来ない事はないが、いささか憚られるものがあり、夜に向けての張り合いも無くなる。こうなるともう、一日中どんよりとしている。僕はどちらかと言えば小食で、美食家でもない。そこそこの物をそれなりに食べていれば、一応は満足してしまう結構安上がりな人間である。毎日同じ献立であってもさほど問題は無い。そんな僕がこんなにも参ってしまうのだから、これが大食漢であり美食家でもある人物が喉を痛めたりしたら、とんでもない大打撃なのだろうなと考えたりしていた。

 そして更に厄介なのは咳嗽。咳が続くとなーんにも出来ない。観るのも読むのも何かしら手を動かすのも考えるのも、何一つ集中出来ないのですぐに放り出したくなる。夜になると、炎症止めも咳止めも薬の効力が無くなってくるせいか、喉の痛みや咳嗽がこの時間帯に集中する。もはや身体はぐったりしているし、何もする気になれないので、兎に角横になりたい。横になったからといって症状が軽くなる訳でもないのだが、そうしているのが一番楽な気がしてくるのだ。しかし眠くもないのに横になっていて、余計な考え事なんかしたくはないので、ぼんやりテレビを眺めている。大概は語学番組だ。咳が治まっている時は発音練習をしたりもする。意外にこれが心地良く過ごせるので、ここ数日は毎晩やっている。おかげで何時の間にか、英語フランス語韓国語中国語を並行して学ぶ事になってしまった。ロシア語ドイツ語イタリア語アラビア語はさすがに多すぎるので避けた。いや、既に許容範囲は超えてそうだが、始めてしまったものは仕方がない。因みにテレビ番組のプログラムは半年間行われるが、これがいつまで続くのかは判らない。成り行き次第である。

雨と冬の憂鬱

 ずっと以前、僕は雨の日が大嫌いだった。梅雨の時期と、11月を過ぎた辺りの長雨は気分が沈み、晩秋で迎えた下降線はそのまま冬を越え、春になるまでそれは続いた。しかし何故か数年前から、徐々にではあったがその状態を強く感じる事が少なくなった。今では長雨を幾らかは楽しめるようになったような気がする。
 そして、冬鬱というものが存在する事を最近になって知った。かつての僕は冬の間は生ける屍とでも呼べるような生活を送っていたのだけれど、それも最近では軽減してきた。雨期の不調もそれと似たようなものかも知れない。気温の下降変化や気圧が関係するのだろうか。それとも血流の勢いに関係があるとか。冬鬱の場合は日照時間に関係があるようで、その治療法として毎日二時間光(太陽光でなくても可)に身を晒す事であるらしい。そういう施設も存在するとの事。しかし日常生活を営みながら、毎日それだけの時間を割いて治療に当てるというのは無理な話である。でも中には酷い鬱状態に陥る人も居るようなので、その人々には有用だろう。どのみち日常生活を送る事すら困難になっているのだから。

 時折、それらの症状が軽減した理由を考えてみるのだが、何も思い当たらない。歳を取って体質が変化したのだと思う他はない気がする。

 軽い鬱状態にある時はとにかく何もしたくないし、無理矢理に何かしらを為したとしても効率が余りにも悪過ぎて、段々と自分が嫌になってくる。だから「何もしたくない病」に罹っている時は、自堕落に過ごすしかないような気がしている。しかし社会生活を営んでいれば、どうしてもやらなければならない事は多々ある訳で、どうにか最低限の事だけを歯を食いしばってこなし、それでどうにか勘弁して貰うのがやっとの生活を送る事になるのだが、それはやはり憂鬱でしかない。
 しかし考えてみれば、そういう話を余り耳にした事がないので、そんな状態に陥る人はきっと少ないのだろう。そう考えると、長雨や冬において鬱屈しない人間の状態が存在するという事になるが、一体どうすればそこに自分を持って行けるのだろうか。是非とも知りたいところである。これは僕の勝手な想像だけれど、日常生活の中で頻々に運動をしていればそうならずに済むような気がする。つまり血液の循環を良くして、身体を冷やす事を避け、新陳代謝を良くすれば軽減していくのではないだろうか。まあこれは本当に想像しているだけで、何も実践はしてないのだけれど。

 ところで、年寄りが天気の事ばかり話題にするのは、それだけ影響が大きいからなのだろうな、と思う。そう遠くない将来、僕らも洩れなくそうなるのだ。やり過ごす方法を学んでおいた方が良いと思う。

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