ホテルの一室で1人の青年がベッドで考えごとをしている。しばらくして地図を手に街に出かけた青年はカフェで1人の女性客に声をかけるが無視されてしまう。翌日、青年が演劇学校の前のカフェで客たちを眺めながらノートにデッサンをしていると、ガラス越しに1人の美しい女性を見つける。彼女がカフェを後にすると彼は後を追う。街中を延々と歩き続け、市電の中でようやく彼女に声をかけることができた彼は「6年前に会ったシルビアだよね?」と尋ねるが、彼女は人違いだと答え、更に彼が追って来たことを責める。翌朝、青年はカフェに寄ってから市電の駅に向かい、そこで佇む。彼の目に多くの人々の姿が映り、彼のノートが風にめくられる中、目の前を何本もの市電が通り過ぎて行く。 シルビアのいる街で – Wikipedia
Wikipedia の出演作リストを見ると判るように2014年から急に出演作が増えている。レンタルが出来て、主演しているものを観てきたが、デッド寿司は予告編をみて、どう考えても好きじゃなさそうなので止めておいた。そもそもは格闘する少女の姿が観たかったのだったと思うが、その点に関しては今となってはどうでも良くなってきた。今年出演した映画の粗筋なんかを読んでみると、いろいろな役を演じているようである。それらが DVD 化されてレンタルされるようになるのをのんびり待ちながら、緩く追いかけていこうかなと考えている。
前回観た「藏」とこの「春燈」そして「櫂」は、宮尾登美子原作の NHK ドラマ三部作のような扱いになっているが、最初の「藏」の原作本が発刊されたのは1993年で、「春燈」が1988年、「櫂」が1972年と、何故かしらドラマは原作の執筆時期を遡るように制作されている。しかしまあ、その事自体にはさして意味などないだろうから流すとして、女衒の家に生まれたこの物語の主人公は、成長するにつれて父親の職業に疑問を持つようになり、その職業故に進学に支障を来し、友人を失う。父親の呪縛から逃れようと決心し遠く離れた分校に教師として赴任するも、そこでも権力者である父親の影響下から出る事が出来ていない事実に絶望した主人公は、夫を説得し満州へと渡る。というのがこの物語の粗筋であるが、これは原作者の半生と重なる。
最終話において、確執の行き詰まった父娘は口論を極め、「何故そんなに俺を嫌う?」という父の悲痛な叫びは宙へと消える。お互いに決して譲る事の出来ない想いを持ち続けた、長きに渡る父娘の愛憎の物語であった。
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