ホテルの一室で1人の青年がベッドで考えごとをしている。しばらくして地図を手に街に出かけた青年はカフェで1人の女性客に声をかけるが無視されてしまう。翌日、青年が演劇学校の前のカフェで客たちを眺めながらノートにデッサンをしていると、ガラス越しに1人の美しい女性を見つける。彼女がカフェを後にすると彼は後を追う。街中を延々と歩き続け、市電の中でようやく彼女に声をかけることができた彼は「6年前に会ったシルビアだよね?」と尋ねるが、彼女は人違いだと答え、更に彼が追って来たことを責める。翌朝、青年はカフェに寄ってから市電の駅に向かい、そこで佇む。彼の目に多くの人々の姿が映り、彼のノートが風にめくられる中、目の前を何本もの市電が通り過ぎて行く。 シルビアのいる街で – Wikipedia
Wikipedia の出演作リストを見ると判るように2014年から急に出演作が増えている。レンタルが出来て、主演しているものを観てきたが、デッド寿司は予告編をみて、どう考えても好きじゃなさそうなので止めておいた。そもそもは格闘する少女の姿が観たかったのだったと思うが、その点に関しては今となってはどうでも良くなってきた。今年出演した映画の粗筋なんかを読んでみると、いろいろな役を演じているようである。それらが DVD 化されてレンタルされるようになるのをのんびり待ちながら、緩く追いかけていこうかなと考えている。
さて、それから三度、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されるなどという波瀾万丈の人生を経た岡村氏と再び遭遇する事になったのだが、果たして、全体の印象を述べるなら、氏は相変わらずだった。アルバムを出さないので、演奏する曲は近年に出したシングル数曲を除いては以前と変わりはないし、氏自身の見せ方も変わりはないし、時折差し入れてくる台詞もそのままであるように思う。ただ、やはり氏も歳を取った。もう49歳である。最近のスタイルである眼鏡を掛けたスーツ姿は以前に比べるとずっとまともに見えるし、身体を俊敏に動かせないのでダンスが緩慢で、以前は MC が多かったように思うが今回は殆ど喋らなかった。20年前に観た時の曲のアレンジがどうであったか憶えていないが、おそらくより複雑で多様になっているような気がする。しかしモニターの音がやけに大きくて、途中まで結構ツラかった。ライブなんてものに足を運ぶのが数年振りなので、大音量に慣れないだけだろうと思っていたが、後日同行した友人にその話をすると彼も同じように感じていたらしく、しかも彼曰く「いつもそう」だそうな。友人は20年振りの僕と違い、何度も岡村氏のライブに足を運んでいる。何故あんなに音を大きくするのだろう。不思議だ。世の中の人々はそんなにも強い刺激に飢えているのだろうか。僕は、自分が歳を取ったからそう感じるのかとも考えたが、演奏者が同年代だし、観客もそうだ。これはシネコンで映画を観る際にも同じような事を感じるのだが、詳しく述べると長くなるので他日に譲る。
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