DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: July 2014

Cafe LEE

 数日前に見た夢の話。

 とある街の繁華街の裏通り、例えるなら、通りの空間の狭さと人通りの多さは新宿東口くらいの感じで、雰囲気は三宮辺りの小洒落たものだ。その通りの角を曲がってすぐの場所に喫茶店が在る。外壁は古ぼけたレンガのタイル貼りで、左側に位置する入口へは階段を二つ登る。狭い踊り場のような空間が在り、奥まったところに分厚い木製の扉。これも古ぼけていて、はめ込んだガラス窓から店内が伺える。その入口の扉の左側の壁、ここもレンガタイル貼りであるが、そこに高さ100mmくらいの大きさの真鍮の切り文字で「 Cafe LEE 」と屋号が貼り付けてあり、足元には観葉植物の鉢植えが置いてある。そして入口の右側には、道に面した外壁が600mmほど在り(柱の部分であるのだろう)それから更に右側は床から天井までの、黒い鉄製の格子枠にはめ込まれたガラス窓になっている。
 僕は学生時代にこの店に入り浸っており、社会人となってからも度々訪れていたようだ。そして今回は、閉店パーティー(とは言っても、通常の営業時間で、特別なメニューが追加される程度)が催される知らせを受けた僕は久しぶりに顔を出しに来たという訳だ。入口の外には小さなスタンドタイプの灰皿が置いてあって、そこで二人の年若い顔見知りが煙草をすいながら談笑していた。僕は二人に声を掛け、二言三言の言葉を交わして中に入った。

 入口の扉を開けると正面に木板の狭い壁が在り、其処には2号キャンバスくらいの小さな、額縁に納まったルオーの宗教画のような絵が飾ってある。その壁の向こう側、奥に向かって右側には5人分のカウンター席が列んでいる。木壁の左側にはスイングドアが在り、その奥が厨房だ。コンロが二つと、その横のステンレス製のキッチンカウンターの上には何本ものサイフォンと白いカップと皿が所狭しと並べてある。通常この店では、珈琲や紅茶と幾つかの銘柄の麦酒とグラスワイン、軽食としてサンドイッチやケーキ、ナッツ類しか出していないので、厨房も簡素だ。
 そして店の右側には、表に面した窓際には二人掛けのテーブル席が三組、奥側の壁に沿って四人掛けのテーブル席が三組在る。テーブルも椅子もそれぞれに、これ以上想像つかないくらいに何の変哲もない形状の、これまた古ぼけたものだ。何十年分もの傷が刻み込んであり、染みもグラデーションのように拡がっている。客席の突き当たり、表の通りから見れば一番左には出窓が在り、ステンドグラスがはめ込んである。
 フロア全体は木製の床で、人が歩けば靴音が響く。表通り側の床から天井までのガラス窓は固定されて開けないが、その上部に排煙窓が在り、春や秋の過ごしやすい季節には空調を止め、そこを開け放っている。天井も高くて、二基のサーキュレーターがゆっくりと回っている。店内に流れる BGM は音を絞ったジャズのみだ。

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 僕が店に入り、ちょうど出くわしたマスターに挨拶をし、他に常連客が来ているのか訪ねると、テーブル席から学生時代の友人が声を掛けてきた。窓際の席に着いて友人とあれこれ話していると、ポツポツとかつての常連客が店に入ってきた。奥の席に座って、マスターと話している僕と同年代の女性客には見覚えがある。カウンター席で喋っている老境に入った二人の男性は、かつても同じようにその席で話し込んでいた二人だ。その他にも、よく知る者、よく知らない者、初めて見る者、多くの客達が入れ替わり立ち替わり店に入ってきては、珈琲や麦酒を呑んだり、特別メニューのピザやキッシュを食べ、マスターや歴代のウエイトレス達と言葉を交わしていた。

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 以上、それだけの夢なのだけれど、情景描写と空間認識ばかりの夢というのが珍しいので、記録しておく。

 僕たちの世代では、逆にジャンルへのこだわりがそれほどありません。実際、日本のアートマーケットを広く見渡せば、陶芸、洋画、日本画といろいろなジャンルがあります。現代アートのマーケットは規模も小さいですが、これらすべての美術品をひっくるめて考えれば、巨大なマーケットが見えてきます。

(中略)

 ただし、買い手側、つまりコレクターの側から考えるとマーケットは確実に異なります。求めているものが違うからです。
 美術のジャンルは、定義自体よりも、コレクターの趣向やそれによって形成されるマーケットによって分けられると言えるのではないでしょうか。

小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書 2008年 pp.155-156

2014年ワールドカップサッカーブラジル大会決勝戦雑感

 14日早朝、薄い頭痛と共に目を覚ました僕はテレビを点けた。アルゼンチン対ドイツの決勝戦を観る為である。それまでの放送は余り熱心に観ていなかった。なにしろずっと体調を崩していたので、睡眠時間を削って真夜中や早朝の放送を観たいとは思えなかったからだ。しかし決勝戦くらいは、と思って無理矢理起きたのだった。それでも、試合は面白かった。相反するスタイルのサッカーが拮抗し延長戦までもつれ込んで、ドイツの若いストライカーの一蹴りでとうとう勝負がついた。
 ドイツ側の選手もスタッフも観客も、雪崩のような爆発的な喜びを全身で表し、ピッチやスタンドを席巻した。あれほどまでに歓喜に満ちあふれた人々の姿はなかなかお目にかかれない。何となく、ベルリンの壁が崩壊した際のニュース映像を思い出した。あの時ドイツの人々は次々に壁の上によじ登り、諸手を掲げ、旗を振っていた。上に登った者が地上の者を引き上げ、肩を組んでは声の限りに歌い上げていた。解放され、喜びに満ちた人々を眺めるのが僕は好きである。事情は違うが、オリンピックの閉会式も同じ理由で好きだ。ワールドカップはそういう映像を流す事が少ないが、オリンピックでは延々と閉会式の映像を流すので、僕はそれをぼうっと眺め続けていたりする。ただ単に調子に乗ってる連中を見ても腹立たしいだけだが、それが努力の末のものであったり、長い間待ち望んだものであったりする場合は別である。何となく羨ましい。その立場に居ない自分が口惜しい。そんな気分にもなる。あれほどまでに喜べる機会を持てる特権を、どれほどの人が有する事が出来るのか。

 ところでアルゼンチン側。スタンドの観客は呆然としたまま立ち尽くし意気消沈していて、スタンドの最前列で齧り付きで応援していた少年は泣きじゃくっているし、選手達の中には突っ伏して泣いている者も居た。なかなかに残酷な映像だった。しかし、ドイツチームが優勝記念の写真撮影をする頃になると、アルゼンチンの選手達は立ち上がり一カ所に集まってきた。こちらもメディア向けの撮影の為だと思われるが、フロントにメッシが立ち、数歩後ろに監督、その背後を覆うように他の選手達が立っている。もともと彫りの深い顔立ちである上に、負けたばかりなので皆表情が暗い。しかし誰もが前を見据え(恐らくドイツチームを見ていたのだと思うが)一言も喋らずにただ立っていた。呆然とした雰囲気は全くない。そこでメッシがペットボトルの水をぐいと飲む。何だか、映画で描かれるマフィアのようでカッコ良かった。既に四年後に向けて闘志を燃やしているのだろうか。四年後の大会の決勝戦の後で、彼らの喜ぶ姿を見たいものだ。そう思った。

 近年、見逃せない成長を遂げているのがアートのネット販売です。
 ギャラリーに足を運ぶ時間がない、近くにギャラリーがないという顧客の要望に応えるツールとしては最適なのでしょう。僕もアドバイザーとして協力している「タグボート」というアートのネット販売サイトでは、開設から四年で利用者がなんと二十倍にも増えたそうです。

 (中略)

 売れ筋は、ウォーホル、村上隆、奈良美智、ジュリアン・オピー、バスキア、キース・ヘリングといったブランド力のある顔ぶれです。なかでも価格が手頃な版画が圧倒的に人気だそうです。ネットの場合、モニター上の画像を頼りに購入を決めるので、既視感のあるイメージや、マチエールが少ない版画は相性がいいのかもしれません。

小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書 2008年 pp.148-149

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