DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: August 2015

是枝裕和という作家

 先日、映画館で「海街diary」のロードショーを観てからというもの、少々気になる事があったので、未見の作品をまとめて観ることにした。「ワンダフルライフ」や「誰も知らない」、それと「歩いても歩いても」と「空気人形」と「そして父になる」は既に観ていた。「幻の光」から年代順に観ていったのだが、「DISTANCE」だけが何処にもレンタルしていなくて観なかった。試しに見てみるだけの事に「買う」という事はしたくなかったというケチな理由なんだけど。

 気になる事というのは、是枝作品では、同じ役者が複数作品に出演していたり、しかも同じような役柄であったり、登場する家族の関係性が似ていたり、テーマとなっているものが近いように思えたのである。そう思い付いたら、それらの事について確認しなくては気が済まない心持ちになってきたので、それを実行した訳である。

幻の光

幻の光:KINENOTE

ワンダフルライフ

ワンダフルライフ:KINENOTE

DISTANCE

DISTANCE:KINENOTE

誰も知らない

誰も知らない:KINENOTE

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花よりもなほ:KINENOTE

歩いても歩いても

歩いても歩いても:KINENOTE

大丈夫であるように

大丈夫であるように:KINENOTE

空気人形

空気人形:KINENOTE

奇跡

奇跡:KINENOTE

ゴーイング マイ ホーム

ゴーイングマイホーム:Wikipedia

そして父になる

そして父になる:KINENOTE

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海街diary:KINENOTE

  • 「歩いても歩いても」と「ゴーイングマイホーム」は、共に阿部寛が同じ名前で主人公を演じており、その姉役を演じているのは共にYOUである。自分の妻と子供、姉夫婦、両親という家族を取り巻く環境が似ていおり、抜き差しならない家族との距離を測り兼ねている様子が全編に映し出されている。
  • YOUは、先に「誰も知らない」で母親役を演じている。いずれも無責任さが強調されているように思う。
  • 「ゴーイングマイホーム」と「そして父になる」の主人公は、父親に対して少なからぬ確執を抱いており、父親役を演じているのは共に夏八木勲である。主人公の名前も同じ「良多」である。
  • 「幻の光」の主人公が再婚する先の、柄本明演じる舅が中空を見つめるように惚けている場面が繰り返し出てくるが、「海街diary」では、リリー・フランキー演じる喫茶店の老いたマスターが、同じように惚けて中空を見つめている場面が出てくる。しかも原作ではそのような場面は出て来ない。つまり脚本の段階でわざわざ作っているのだ。

 今思い出せるのはこのくらいか。観たのが随分前であるが故に、内容を余り思い出せないものも幾つかある。もしかしたらもっと在るかも知れない。
 例えば画家が同じモチーフを背景を替えたり、素材を替えたりしながら何度も描き直すのは、自分で納得出来ないまま完成させてしまったからであろうと僕は考える。もしくは、完成した時には満足していたが、時間の経過に連れ至らなかった部分に気付いて来て、その事がどうにも我慢出来なくなった時に別な機会を設けて描き直しているのだろうと考える。
 この作家の、配役やモチーフの繰り返しもそれと同じような事ではないだろうか。それはつまり、作家にとってとても大切な事柄なのだろうと思う。鑑賞する側にとっては関係のない事だが、そういう見方も興味深いように思える。

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 「ゴーイング・マイ・ホーム」が殊の外気に入っている。アマゾンでのレビューを読んでみると「映画と同じこの作家特有の演出が失敗していて良くない」というような事が書いてあったが、そんな事はなかった。というか、連続テレビドラマなのに、これまで観てきた同作家の他の映画と同じ感覚で観る事が出来るのが良かった。もっとスポンサーの意向や制約なんかが影響して、解りやすいエピソードが盛り込まれたり、妙に盛り上げるような演出がなされたりしているのだろうと観る前には思っていたのだけれど、そういう引っかかりが全くなかった。その事にとても感心するし、内容としても、映画でやってきた事の集大成であるかのようなものになっていたのも良かった。
 それと、この作家は連続テレビドラマの方が合うのではないかと思う。連続テレビドラマくらいの長さが在る方が、登場人物の心情を丁寧に描く事が出来て、観る者がより物語に近づいて行ける気がする。先日観た「海街diary」でも物語の展開が若干早すぎるように感じ、何となく話の流れや登場人物に対して距離を感じてしまった。それでは勿体ないなあと思うのである。

I’m not there.

I'm not there

 6人の俳優がボブ・ディランの半生をそれぞれに演じ分ける伝記映画。ディランに似ても似つかない俳優(黒人の少年や女性も含まれる)が別な名前で演じているのでとても判りづらい。全体としては、ディランがどうして古いブルースではなく現在を歌うようになったのかという事と、そこから話が飛んで、ディランがプロテストからどうやって身を剥がして行ったかという事が描かれていたのだと思う。僕はボブ・ディランの持つエピソードなどに関しては余り知らない。しかしそれを良く知る人にとっては、ディランの有名なエピソードを別な人間が演じている事に面白みを感じるのかも知れない。伝記映画なぞ当人に興味の在る人でなければ観ないだろうから、その線は間違ってはいないのだろう。個人的には、現在のシャルロット・ゲーンズブールを見る事が出来たのが良かったのだが、本編の評価とは関係はない。

 劇中で出てきた「おたずね者の心得7カ条」というものが、なかなか示唆に富んでいた。

  • その1 レインコートの警官を信じるな。
  • その2 情熱と愛には気をつけろ。両方ともすぐ冷める。
  • その3 社会問題への関心を問われたら、じっと目を見つめ返せ。相手は黙る。
  • その4とその5 本名は隠せ。自分を見ろと言われても、決して見るな。
  • その6 目の前にいる人間にすら理解できぬ言動は慎め。
  • その7 何も創造するな。誤解される。その誤解は一生付きまとう。決して解けない。

 「この人には理解されないかも知れないなー」と感じながら喋り続けると、後々になって思い返せば大凡が誤解されていたように思う。

 セクシュアリティは肉体的な性差であり、ジェンダーは社会的な性差を指す。エロスは主としてセクシュアリティにまつわる表象や身振りから、においたつものといえる。少し前になるが、アメリカのあるキュレーターはこう嘆いていた、「いまやアーティストは皆十四歳の少年少女のままでいたがる。観客もそうだ」。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 p.106

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