葛飾北斎はおそらく天才でした。彼の作品は空白状態の偶然から生み出されたものでしょう。ただ、彼は欧米の世界では高く評価されていますが、生前の日本では町絵師の域を脱しえませんでした。天才が空白状態の中で作るものは歴史をガラリと変える可能性もあるのですけれども、水準が高すぎたり時代の先に行きすぎたりしているために、リアルタイムでは正当な評価を受けられないかもしれないのです。様々なしかけを組みこんで、現在の人や社会とコミュニケーションするべきか。偶然に作っちゃったもので、未来の人や社会とコミュニケーションするべきか。このあたりは考えるほど矛盾に満ちた世界が広がっているのです。そもそも芸術表現の世界は矛盾で満ちています。しかけのある作品でないとなかなか認められないという美術界の構造はおそらく天才でない大半の芸術家のために生まれたのだと思います。歴史や民俗を取りこんだ作品制作はあざといことでしょうが、凡人には必要な試行の過程なのです。日本人の作るものが世界に受け入れられはじめる入口は、今はまだまちがいなく「エキゾチック」というところですから、そこからどこまで美術本体に入りこめるのかが勝負になると思います。

村上隆著『芸術起業論』幻冬舎 2006年 pp.104-105