天下取りという形で家康に花を持たせた如水・長政父子は、九州を避けてその外の地域でより広大な領地を与えようとした家康の申し出を断り、かねてからの予定通り、筑前をものにした。博多を持つ筑前は、天下に匹敵するものと考えてよいかもしれない。というより、あふれんばかりの知力があだになり、天下を逃した黒田氏は、博多を基軸に事実上の天下つまり中央政権を形成しようと考えたのだ。筑紫君磐井の反中央、反体制意識は、期せずして黒田氏に引きつがれていったのである。

武野要子著『博多〜町人が育てた国際都市〜』岩波新書 2000年 p.127