どんな国民も、自分たちは他国の人間とはちがっていると考えたがる。そしてもちろん、他国の連中より優れていると考えたがるのが通例である。けれども徳川の鎖国時代は、日本人は他国とのちがいを強調する機会がほとんどなかった。そこで日本人同士、おたがいの間のちがいを強調することになった。例えば江戸っ子は上方人とのちがいをしきりに口にし、上方人が江戸とのちがいを強調するより熱心だった。ひょっとすると、江戸っ子の劣等感の表われだっらのかもしれない。上方は天子様のお膝下だが、江戸は将軍様のお膝下でしかない。だが今日では、どうも大阪人のほうがちがいを気にしているようだ。

エドワード・サイデンステッカー著『東京 下町山の手』ちくま学芸文庫 1992年 p.200