DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

母と息子のバラッド

 確か7月の半ば頃の話。梅雨が開けるか開けないかの瀬戸際の快晴の日に、僕は打ち合わせに挑むべく地下鉄の駅へと向かっていた。薄暗い地下へと降りる入口の前で、何やら高校生くらいの男の子がもたついている。彼は長身だというだけではなく、太っているという訳でもなく、縦にも横にも大きな巨漢であった。真っ黒な学生ズボンに白い半袖の開襟シャツ、坊主頭の下の表情は大変幼くどちらかと言えば愛らしい。そんな彼が一体そんな場所(通行の邪魔)で何をまごついているのか判らないが、突然横を向いてこう言ったのである。「お母さん、これ持ってて」それを聞いて初めて男の子の隣に佇んでいる女性の存在に気がついた。年の頃は40過ぎ、身長は150cmあるだろうか。僕の母もそうだが、とても小さなお母さんである。「もう・・・」と嘆きながら息子から鞄を受け取る。どうやら息子は定期券を探しているらしい。
 巨漢の息子にちっちゃな母親。不思議だ。父親が巨漢なのだろうか。でもそんな事より、この二人を見ていると何故だか頬を緩むのだ。どれだけ身体が大きかろうが息子は息子で、どれだけ身体が小さかろうが母は母である。その事実は僕をとても楽しい気分にさせる。

6 Comments

  1. うん…身体のサイズではないのですね。
    当たり前なんだけど、そういう事実にはっと気づかされると、にんまりしちゃいますよね。
     当たり前なんだけど、不思議。
    そういや、小さいころ、父に「俺の年齢割るお前の年齢、計算してみろ」と言われ、暗算すると「20年後だとして、同じ計算してみろ」と。
    た、大変だよオトウ…
    「な?つまり、俺はあんまし年をとらず、お前はものすごく年をとるということだ」
    がーん…
     年齢算とか、知る前のお話ですが、ある意味、真理をついたギャグかと、今では思います。

  2.  その考え方って、実年齢差を思うよりも実際の感覚に近い気がしますね。親も勿論それなりに歳を取っていくのですが、自分の方が急速に彼らに近付いていく感じ。逆にそうでなければ、親が自分と同じように感じながら生きている人間だという事に気付く事が出来ないと思います。
     とは言え、彼らの方が確実にこの世を去る時期が思うよりも早いという事を忘れがちなのがちと問題なのですがね。

  3. けっこうなショックを与えられたんですけど、
    確実に実感としての差はなくなっていくけど、
    差は埋まらないだろう、ということですかね。
    埋まるとしたら、親が年齢を刻むことがなくなったとき…うぅむ。

  4.  僕の両親は長生きしそうなので、彼らの年齢を超えて僕が生きるという事はなさそうなんですが、早死にした親の年齢を超えて自分が生き続けるというのは、投げ出された感があって不安そうですよね。なぞるべき人生が既に無いんですから。しかし逆に考えてみると、親を亡くして初めて人は自立する事が出来るのかもしれません。

  5. いや、ほんとにそうですよ。
    うちの父は放射線治療のおかげでいったん髪が抜けちゃったんだけど、
    先日からまたフッサーって生えてきたらしく、しかも黒々してる、と自慢していました。
    キヨシローとかタクローとかとおんなじ病気ですけどね、非常にポジティブで、元気。
    やりたいことガンガンやってるので、彼を見ていると気持ちよいです。
    同時に、徐々に自立できたらな…とは思いますね。
    いきなり投げ出されるんじゃなくて。

  6.  生命力の強い父上ですな。羨ましい。清志郎は心配でなりません。先日初期のRCを聴いていたんですが、あの声がこの世から永遠に失われるかも知れないという事を想像してしまいました。
     徐々に自立出来るほど人間は偉くないんじゃないか、と最近は思いますよ。余程の人でもない限りだらしないものだと思います。

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