暫く前に NHK の日曜美術館で河井寛次郎の特集が放映された。その中で最近になって蒐集家の所蔵品の中から見つかった「鉄釉球体」(左上画像)という、これはもう陶器と呼んでも良いのかさえ判らない物が紹介されたが、何となく見覚えがあるような気がするのだ。しかしこの作品そのものを見た訳ではない。それは確実だと思う。では何だろうかと考え続けていたならば、ようやく思い出した。僕が保育園児だった頃に作っていた泥団子に似ているのだ。
それはどういうものだったのかと言うと、朧気な記憶を辿るとそれは夏の雨の日。水を多分に含んで柔らかくなった花壇の土を掘り起こし、砂状の土の更に下、粘土状の土を一つかみ採取する。そしてそれをこねくり回し、手の平で丁寧に転がして球形にする。この作業が幼児にはなかなか難しく、丸める途中で力を入れすぎて形が崩れてしまったりするのだが、それでもどうにか自分が気に入るだけの形をした玉を作る事が出来たならば、今度はそれを敷地内の何処か、誰にも見つからない、しかも雨掛かりのない場所にそれを隠す。先生に見つかれば捨てろと言われるだろうし、他の園児に見つかれば持ち去られるか粉々に崩されてしまう。だから隠し場所に関してはとても慎重だった。花壇の周りの縁石の浮き上がった部分の下だとか、半分埋められた古タイヤの内側だとか、そういう場所が多かったと思う。
後日、雨が上がって日がカンカンと照り始め、土が十分に乾いたタイミングを見計らって泥団子を乾いた砂の中に移す。(因みに、それまでの間は毎日泥団子の所在の確認はしている)砂粒は細かければ細かい程良い。形が崩れないように丁寧に、乾いた砂を塗していく。それからは、砂の中に貯蔵した泥団子を毎日掘り起こして確認するという作業を繰り返す。勿論誰にもその姿を見つからないように慎重に行動する。
そしてここからがこの遊びの醍醐味なのだ(個人的には、である)が、泥団子は徐々に水分を失い表面の色を変化させて行くのだ。最初は濃褐色であるのが段々と濃淡がまばらに為っていき、それが毎日のように変化する。模様が斑点である時もあれば、木星のような縞模様である時もある。途中乾燥の為に玉にひび割れが出来たりした時には、唾や水道の水で丁寧に表面を撫でてひび割れを塞いだりしていた。そして段々と全体的に色が薄く変化していき、或る日水分が抜け切って白っぽくてカチカチに固まった玉が出来上がる。思えば、出来上がった玉の固さを競い合っていたように思う。根拠としてはそれだけの遊びであるので、最初は数人いたライバル達はすぐに飽きてしまい、途中からは僕一人で遊んでいた記憶がある。僕としては、最後にカチカチの玉が出来上がるのは勿論楽しかったが、それまでの過程も楽しかったのだ。河井寛次郎が作った鉄釉球体のように釉薬が織り成す艶やかな模様が出来る訳ではなかったが、不思議な模様が日々変化していくのを確かめるのは楽しかった。幼児がそこに一体何かを求めていたのかまるで想像がつかないが、唯々楽しかったのだろう。それは僕自身が創り上げた宝物であった。
で、その出来上がった宝物をその後どうしたのかというと、全然憶えていない。宝物であったのは作っている最中だけだったのかも知れない。そしてついでに思い出したが、そのカチカチの玉を、その遊び自体も含め「コーテツ」と呼んでいた。「鋼鉄のように固いモノ」という意味だったのだろうと想像するが、幼児がそんな言葉を知っているかどうかはかなり怪しい気はする。
May 12, 2013 at 19:35
おはぎみたいな泥饅頭というのは作った記憶がありますが、泥団子は知りませんでした。調べたらかなり精巧な作りものもあるんですね…
いずれにしろ泥遊びも記憶のなかで死に絶えておりました。よく覚えていらっしゃいましたね。
May 12, 2013 at 20:42
本当ですね、大人になってまでも泥団子を作り続けている人達が居るんですな。
http://www.kyokyo-u.ac.jp/youkyou/4/4.html
僕が作っていたのは、ビー玉より少し大きいくらいで、勿論光ってはいませんでした。僕は記憶力がない方だと思うんですけど、些細な事に関してはいろいろ憶えている事がありますね。この事に関しては年に一度くらい思い出しますよ。