自分のお気に入りの物語が不満な終わり方をするとき、おたくならどう動くか。ここにちょうど絶好のサンプルがある。後に詳しく触れる予定の『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメは、ほとんどその結末のみによって社会的事件となった。ドラマの後半まで、それは見たこともないほど洗練された巨大ロボットアニメだった。ところが問題の最終話である。主人公が突如、延々と内面的葛藤を語りはじめ、そのあげく内面的に救済されて終わるというその結果に、ファンの大部分は激怒した。
 それで彼らは、作者である庵野秀明を直接に批判したか。もちろんそういう反応も多数あった。しかしその一方で、自分好みの『エヴァ』ストーリーを書き始めるファンが大量に出現したのだ。これこそが正しいおたくの反応と言うべきであろう。彼らは作者を必ずしも絶対視しない。たんなるファンの立場以上に、彼らは目利きであり批評家であり、作者自身でもありうる。このように受け手と送り手の差がきわめて小さく曖昧であることも、おたくの特徴の一つであろう。そう、その意味で、つまり虚構との向き合い方に限定してなら、大澤氏指摘こそが正当だ。おたくにあっては作者という超越的であるべき他者が、内面的他者の位置に限りなく接近させられるのである。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 pp.52-53