あれから ” パーク・ライフ ” をそれなりに読み、次に読んだのがコレ。長崎弁、というか九州全域で通じるであろう言葉で綴られている。そういう僕の身体にも染みついた言語で語られているせいか、描写が非常に生々しく感じる。例えば、下履き一枚姿の男達の酒宴の描写があるが、その場所ではどんな匂いがしてどんな音が聞こえてどんな温度を持っているのか、僕はまざまざと感じる事が出来る。子供の頃に見た、父や祖父や叔父やその友人達の姿が重なる。彼等の表情や肌の色、子供だった私には窺い知れない秘密めいた痴話。酒が飲めなければ一人前だと認めないと言っては、子供の僕に半ば強制的に酒を勧める大人達。挙げ句には煙草まで吸わされる。しかし僕はそれを喜んで受け入れていたような気がする。今でも嫌な思い出としては残っていない。僕はとうの昔に、今度はそれらを子供らに見せつける立場になっている訳だけれども、何だか遠い話のように感じている。僕は未だに彼等には追いついていない。それが少し悔しい。