正月過ぎた辺りに NHK で去年末に亡くなった宮尾登美子の追悼番組でドラマ「」が一部再放送されたのを観て、そのうちに観てみようと考えていたのだが、つい先日近所のレンタル屋に陳列されているのを見つけたので観てみた。
 全六回の前半、つまり主人公の烈が幼少である時期の物語は退屈に感じたが、烈が成長し、松たか子が役を演ずるようになってからは引き込まれるように観た。僕は昔から宮尾登美子原作の映画やテレビドラマを好きで観ていて、共通して描かれている社会や伝統に押し潰されまいと懸命に生きる女性の姿は、もちろんこのドラマの中にも見る事が出来る。例えばこの NHKサイト のこのドラマのページを見るとこうある。

日本の伝統は繊細に美しく、時に残酷である。日本の女性はその重さの中で生きてきた。

 もしかするとこの感覚は非難を受けるようなものなのかも知れないが、こういう状況設定だけでも「美」を感じ取ってしまうし、登場人物に関しては「可憐」という言葉を思い浮かべる。
 そして、松たか子が演ずる烈は病のために失明しているが、何故かしらその演技から目が離せないのである。原作では、烈は14歳の時に完全に失明している。松たか子が演ずる時の烈が何歳の設定であるのか判らないが、恐らく十代だろうと想像する。とすれば、失明してからそうまだ長くは経っていないので、盲目の状態に慣れていない様子も演出されたのだろう、所作に戸惑いの表情が加味されているように見える。僕の近くに視力を失った人が居た事がないので、あの演技がどれほどに実際に沿っているのか判断のしようがないけれど、父の意造や叔母の佐穂と話す時に烈の顔は、もしかしたら耳を相手に向けようとする為に、あらぬ方を向いていたり、家の中を歩くときには両手を前に伸ばし、自分の行く先に空間が存在する事を確かめながら歩いたりする。他の登場人物達やこのドラマを観ている僕とは別な、暗闇の世界に生きる烈が、どうにか接点を探そうと賢明になっているように見え、その姿が心を打つのである。そしてその吐き出される言葉は懇願のようであり、烈を覆い尽くす闇の深さが感じられる。そのような人間の姿に、僕は目を向けないではいられなかった。

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 主人公の烈とは別に、先妻亡き後に意造の元へ嫁いだせき役の洞口依子の演技も良かった。狡猾ではあるが、ものを知らず、だらしのない性格の持ち主で、まんまと嫁いだは良いものの、やがて社会の伝統や家の慣習に押し潰され、命からがら逃げ出す。主人公の烈と、叔母の佐穂、そして後妻のせきはこの物語の軸となっている。

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 先に、このドラマの存在を追悼番組で知ったと書いたが、その時僕は母と一緒にその番組を観ていた。そもそも母が宮尾登美子のファンで、大昔に母の本を借りて読んだ憶えがある。何を読んだのかさえ覚えていないが、それから随分経ち大人になった頃に、ふと思い立って宮尾登美子原作の映画を観たらすっかり魅了されたしまったのだ。
 話を戻すと、ドラマは第一話をそっくりそのまま再放送するという形で流されたのだが、オープニング曲の一音が流れた途端、居間でテレビとは別な方を向いていた母が「これ、藏でしょ?」と声を上げた。たったそれだけで判るとは、よほどこのドラマが好きだったのだろう。このドラマで初めて松たか子を知ったとか、いろいろと喋り始めた。
 オープニングの曲が非常に印象的であるので少し気になった。ギターの音のように聞こえるが、それにしては音の響き方が少し違うようで、同じようにつま弾く楽器の琴とも違う。NHK のサイトにクレジットがあるので見てみると、深草アキという人が音楽担当であるようだ。調べるとサイトが在った。そのサイトを読み進めると、あのギターに似た音色を出す楽器は中国の古楽器「秦琴」というものであるようだ。ドラマのサウンドトラックを全てやっているようで、上記のページではダイジェストでそれを聴く事が出来る。繰り返し聴いていると、だんだん染みてきた。買って通しで聴いてみようかと考えている。